セフィロトの実

人生という名の音楽

 人の人生は、音楽のように流れていく。

 私は、精神科医という仕事をしている。人々は、今まで過ごしてきた過去がどんなものかにかかわらず、様々な悩みや症状を抱えて私のもとを訪れる。私は、その人がどんな親のもとに生まれ、これまで何を感じて生きてきたのか、語られる言葉を聞く。

 多様な悩みや症状は、気付けなかった感情、押し殺してきた感情、社会や他人との齟齬、人間個人の境界をはみ出した誰かの愛、実現されるべきだった願い、自分ではなく誰かのためという名の犠牲的精神、正され損なった勘違いなどの無数の旋律のあつまりでできていて、それぞれの旋律にはそれぞれの理が存在している。しかし、それらはその人の中で不協和音を奏でている。

 旋律のひとつひとつには生きることへの渇望のような、切なる力がこめられている。喜び、悲しみ、苦しみ、怒りといった感情、そして愛を求める気持ち。これらは、生きる力から生まれ、人々を時には悩ませ、時には前進させ、人とのつながりを作り、人生を突き動かしていく。そんな自分の様々な感情や愛に気づき外の世界に向かって表現され言葉になっていく時、人は自分本来の旋律を聴く。そして、聞こえていなかった他の誰かの旋律、社会や環境に流れる和音やリズムを聴き、それらのひとつひとつが愛からできている旋律であることをこころとからだで理解した時、それまで感じていた不協和音はなくなり、ある人はオーケストラの交響曲のように、ある人は子守唄のように奏でられている今ここにある自分の人生の音楽を聴く。

 自分や誰かの内なる感情や愛からなる音楽を聴き理解していくことは、人生の学びであり、人間は生きている限り学び続けるようにできている。ひとつの学びを終え次の学びが始まる時、次の楽章は始まり、ひとはそれを人生の転機と呼ぶ。悩みという転機のチャンスを迎えた人が、私を訪ねてくる。

 親の愛、誰かの愛、自分の愛、そんないろいろな愛の音程が奏でるたったひとつのその人の人生という音楽に、私は畏敬の念をもって静謐な気持ちで耳を澄ます。

人生は、うつくしい。 

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